三段論法とトゥールミンモデルの違い
論理といえば三段論法だろ!とお考えの方がいるかと思います。
確かに三段論法は論理のモデルとしては非常に優れています。
しかし、ディベートには適さないモデルです。もしかしたら、ディベートだけではなく、日常会話にも適さないかもしれません。
三段論法で考えてしまうとおかしなことになります。なぜなら、三段論法には、「絶対に正しい」という縛りがあるからです。
三段論法の絶対縛り
三段論法ではよく使われている「大前提」という概念ですね。
人はいつか死ぬ
アリストテレスは人である
アリストテレスはいつか死ぬ
中学校や高校の国語の授業でこのようなモデルを学んだことがあるのではないでしょうか?
この論理は間違っていません。
しかし、同時に、三段論法で考えてしまうと、絶対に正しい大前提を置いての論理しか構築ができないわけです。必ずしも正しくない大前提を敷くことはできません。
私は、これを「絶対縛り」と呼んでいます。
世の中に絶対はない
- ホームページを作れば絶対に集客ができる
- ディベートを学べば論理的思考力が身につく
- コーチングを受ければ潜在能力が引き出せる
このようなことを絶対とは言い切ることはできません。ビジネスシーンであれば、「〜〜〜なる場合もある」「きちんとやれば、キチンとした成果が出る」としか言えません。
このように日常会話は、絶対的なことはないため、三段論法のルールに当てはめてしまうと、どうしても説明に無理が生じてしまいます。
一方で、数学やシステムのように、必ず正しい数式やアルゴリズムがある世界では、三段論法は適しているとことも触れておきます。
ディベートは絶対を疑い相対的な論理を構築する
ディベートの場合は絶対に正しい論理を構築するのではなく、相対的な説得力を競うゲームです。極論をいうなら、自分たちの論理が崩されようと、それ以上に相手の論理を崩すことに成功すれば試合に勝ててしまいます。
例えば、日本のアニメ番組は子供たちの教育に悪影響である!という命題があるとします。
おそらく、子供にとってよい影響がある側面と悪い影響がある側面があります。この2つを同時にぶつけていきながら、お互いの論理を攻防戦を繰り広げながら、最後に相対的にどれだけ生き残ったかで、その説得力を競います。
たとえ「良い影響」と論じたほうのポイントが20点でも、相手のポイントを10点にすれば勝ててしまうのです。
これを三段論法で考えてしまうと、20点も10点も100点ではないから成立はしないという判断でどちらもダメになってしまいます。